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人の骨を見てぞっとする理由

アリストップ
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最近僕がよくよく感じる「嫌な予感」はイコールで「唇がピピリする(かゆい)」というものです。
というわけでまたか畜生orz
やはり診療所で貰った薬を紛失してました。探さねば。乾燥如きに易々とくじける自分の唇が恨めしい。


翼です。


昨日今日と親戚が亡くなられたのでお通夜とお葬式に行ってきました。
昼まで寝てさあ風呂に入ろうかとしたところで突然の訃報にびっくりしました。
姉さんなんかは、姉さんの勤めている会社へ父さんが訃報の連絡をした際、上司の方に「身内の方に不孝があったみたいなので連絡してきなさい」と言われ、僕か母さんか誰かに何かあったのかと泣いてしまったようです。(むしろ姉さんにも何もなくてよかった。)


そんなこんなでお葬式。

お通夜もお葬式も、諸事情により身内とお友達数人という少人数の参列者でした。
こういうのに出るのはたしか父方の祖父に続いて2度目。かな、多分。(誰かのご葬儀にも参列させてもらった気がするけど、哀しいことに誰か覚えてないや。僕の妄想かも)
無くなったのは母方の親戚の方で、僕は覚えていないのですが、姉さんは一緒に母方の実家へ帰省したときに遊んでもらったのを覚えていたそうです。

何度もご焼香しました。
お坊さんのお話も通夜とご葬儀と二回聞いたし、献花もした。納骨もさせてもらいました。お経も読んだ。

始終僕が感じていたことは、死んだ身内の方に対する悲しみではなかったです。なくはなかったけど。
ただ純粋に、「ああ人が死ぬのって悲しいな」ってそういう至極当然で当たり前のことというか。今更考えるまでもないほど今更なこと。
亡くなられた親戚の人の方のために涙を流すご家族や親せき、ご友人を見ていると、本当に純粋にそう思った。だから悲しくなった。
お坊さんも言ってたけど、人はいつでも死ぬんですよね。
姉さんが言ってたけど、人は絶対に死ぬけどそれは決して良いことじゃない。人の死については誰が悪いということは絶対にない。死ぬほど悪いことなど、この世にはないそうです。

他にも、浄土宗には回向(えこう)という考え方があるそうです。
たとえば良い行いをすれば、された人が別の人にまた良い行いをして、次のされた人がまた別の人に……というように、善行は巡り巡っていく。とかなんかそんな感じだったような…(ちと違う気もする…説明する力なくてすみませんorz)

そんでもって、こんなお話も聞きました。
人は死ぬと四十九日をかけて四千里を歩くらしいです。しかも七日毎に裁判が行われ、生前の行いを問われる(食べた生き物に感謝を示したか、盗みをしてないか、嘘をついてないか、とかとか)そうで。その裁判の結果によって死後、六道(天界道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)のどこに行くかが決められるとか。
しかし裁判と言えば人もいますが、被告人を弁護する人もいますよね?それが僕達私達のような、亡くなった人と関わりのある人だとか。心をこめてお経を読み、亡くなった人がどれだけ愛されていたか、大切に想われていたかを伝え、少しでも生前の罪を軽くしてもらうそうです。
それから、四十九日をかけて四千里を回るとき、その人のご飯というか活力になるのはお線香の煙なのだそうです。だからできるだけ絶やさないようにしてあげるのがいいのだとか。(ないとお腹減って喉が渇いて、悪さを働いてしまうことがあるらしい。人間味あるよなぁ…)
それにしても、四十九日をかけて四千里を歩くなんてすげえ苦行ですね。歩き慣れてる人ならいいけど、母を訪ねて歩いたマルコより長い距離なんて、僕ならきっと…………歩きそうだな。それしかやることなさそうだし。

まあ、そんなこんななお話を聞かせて頂いてとてもためになりました。
「南無阿弥陀部」を十回唱えるやつとかね。(じっぽう…だっけな?感じが思い出せないorz)九回目だけ「南無阿弥陀仏」と唱えるのだとか。そんな。イロイロなお話を聞かせていただきました。和尚さんありがとうございました。

そう言えば、お葬式や人の死に触れるたびに思うのは「遺書を書かなきゃ」ということ。
悲観とかそういうのじゃなくて、万が一、億に一、京に一、自分が死んだときのための。
パソコンにいかがわしいものとか入ってる人はね、ほら、とくに必要じゃないかな?(ぉ
とりあえず僕はここのブログとmixiのアドレスと各ログインワードを書いた紙は必須だと思った。

それから、火葬場で収骨の際にね、ちょっとショックだった。
まあ当然といえば当然だし本当に当たり前なんだけど……あれ、骨壷に遺骨全部入らないんですねぇorz
物理的に考えてそりゃそうだ。ってなるんだけど、ちょっとぞっとした。だって一部分しか持って帰れないんですよ。じゃあ他は?ってなって、たとればそれが大好きな人だったりしたら悲しくてしょうがないじゃないかなぁって。(ちなみに残りの遺骨は葬儀会社のほうでちゃんと供養してくださるそうです)
なんとなくだけど、僕なら、残った骨をちょこっともらってかえってその骨を飾るとかペンダントにするとか、そういういかにも怪しげで根暗で最高にキモいことをしそうな気がする。(実際にされてる方がいたらすみませんorz)
それにしても、骨ってすごい怖かったー。
人の形がなくなるだけで、あんなに印象変わるんですね。いるはずの人がいないという現実をあんなに生々しく見せつけられるなんて……はたして僕は耐えられるのだろうか。
関係ないけど、のど仏は本当に人の形っていうか仏さんの形してました。人間の神秘ー。


火葬の後の葬儀で、父さんが「人間て呆気ないなぁ…」と言っていたのが耳に残っている。
彼はなにを見ていたんだろうなぁ。



そんなこんなで帰ってきて、非常に眠くて疲れているにも関わらず、ブックオフに本を売りに行ってコンビニでジャンプを立ち読みして帰るっていう日常。
よく言われるように、僕が無駄に生きている今日は、もしかしたら誰かが生きたかった今日なんだろうなぁ。
でもそんなこと言われても、どうしようもないよねっていう。僕の生は僕のものでしかなくて、譲ったり交換したりできないししたくないし。だから、ごめんね誰か。


とにかく、久しぶりに考えた二日間でした。
いい加減寝ます。泥のように眠ります。
おやすみなさいです。

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