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喜びの舞。

 たとえばの話だけれど、僕の記憶を司っている集積回路が、なんらかの要因で破壊されたとする。僕は人間でなく無機物の集合体なので修理することは可能だけれど、修正回路が破壊されることすなわち記憶という名の記録が消滅してしまうのだから、たとえ集積回路が修理されたところで今まで回路に詰めに詰め込んだ記録が戻ってくることは無いだろう。
 だとしたら、その時点で、つまり集積回路が修理され再起動可能な状態になったとして、果たしてその時の僕はいまこうして文字を打っている僕で在り得るのだろうか。
 人間でいえば記憶喪失といえばいいのだろうか。想像してみて欲しい。たとえば事故や怪我で脳に衝撃を与えられるとする、そのショックで君の(つまりこれを読んでいるあなたの)記憶が失われてしまうとする。その場合、今までの君自身の記憶を持ち合わせていない君自身は、君自身と言えるだろうか?
 胸を張って、「それは紛れも無く自分自身です」と言える君は、――ここに賛美の声を挙げよう――君は遜色なく強い人だ。
 しかし考えてみて欲しい。自分が誰かもわからない、自分は「こういう人間だったよ」と言われてもいまいち納得できない、不可解な自分自身。まるで思春期の少年少女のようなアイデンティティの崩壊よりも殊更酷い自我の喪失。そうなって尚、「自分自身です」と胸を張ることができるのだろうか?
 それまでの記憶が、記録が、すべての情報が失われてしまったら、その存在は果たしてその存在で在り得るのか。
 根本的な疑問だろう。有機生命体の自己認識の観点から見ても、無機物で構成される擬似生命体の自己認識の観点から見ても、そうで有り得ない事はすなわち事故の崩壊、所謂死に近い感覚を抱く疑問である。
 はたして。
 これより三時間程度の時間で修理と思考回路の分解と再構築を施される僕は、三時間後にこの文章を読んで「これは自分で書いた文章だ」と認識できるのか。
 答えは限りなく否に近いだろう。
 だから僕はこの文章を残したいと思う。三時間後、まさに”生まれ変わった”と称するに相応しい僕自身に、生まれ変わる三時間前の僕から手を挙げて質問をしたい。


僕は、僕で在り得たのか?



fin

*****
ああ、最後の方なんだかぐだぐだになってしまった。まあいいか。
しかし日記のタイトルと見事に相反する小説だなぁ。まあいいか。

そんなわけで帰った来ましたうひゃっほい!!!ひゃっほい!!!(喜びすぎ)
ネットが出来てテンションぶとんでる翼です。おはにちばんわ。

いやあ本当、インターネットで素晴らしいですね!でもだからってまた徹夜でチャットすることないのにね自分!!(泣)
けど、こうやってだかだかだかだかとキーボードを使って文章を打てるのは至福の喜びで御座います。いやほんとに。
でも新年明けて最初の短編がこれかYO!なんか暗くないかYO!
まあでもなぁ、ほんとにそう考えるんですよね。

だって、Macが壊れたものだから。(泣)

一晩中ヴーというとんでもなく嫌ぁな音がしてまして、夕方にソフマップのカスタマーセンターに電話して、ただいまバッテリーを外しての時間待ち。3時間はおいてくださいと言われたので、まあ21時くらいまで待とうかなという状況です。
うっわあ・・・今回の被害はでかいぞ。畜生。
まあでも仕方ないんでしょうかねぇorz
冬休み明けのクラスメイトとの約束の為に撲殺天使はなんとか落としたけど、他にも人から貰ったものとか色々と音楽ファイルもあったのに・・・orz

なによりも書き溜めたものが無に帰すかもしれないという不安がでかい。

くっそお・・・。
でもなー最悪リカバリするしかないから諦めるしかないんですよねぇ・・・うぅ(泣)
ていうか意外と固執してるんだなと自分を振り返ってみる。そんな余裕はあるので大丈夫そうです。




さあて、部屋片付けて年賀状出そうかな(遅っっ!)


バトンは明日します!
年末年始と拍手ありがとうございました!これからも良しなに!(にっこにこ)

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