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そういえば

アリスは待ってる
*****

前に美容院に行ったのがたしか年末。
そろそろかなぁ、毛刈りの季節。
枝毛も気になる。

翼です。

適当に前髪を切ってみたものの鬱陶しさは変わらず。
個人的に鬱陶しいほうが顔が隠れる気がして好きなんだけど、バッサリいきたい。でもバッサリするとすぐにモッサリしてくるので悩みは尽きません。くそう、癖っ毛め。

そういえば爪刈りもしました。
やっためったら伸びた爪をパッチンと刈ったらやったらめったらキーボードが打ちやすいノなんのって。ていうかキーボードの打ち方を矯正しなければならないことを思い出した。人差し指とか中指とか決まった指しか、使わないせいかはわからないけれど、手首にクるのです。アタタ。

あ、あと自転車狩りもしてきました。
また赤。26インチ。多分これからずっと赤かもなぁ。
そんなニュー自転車を前にして、昨日の姉さんとの会話。

姉「アンタ自転車買うん?」
翼「買うよー明日」
姉「名前決めなきゃね」
翼「だねぇ」

すでに自転車に名前をつけることが自然になっている我が家です。
でもやっぱ新品っていいですね。すごい。
音が出ないしすいすい滑るように走るのなんのって。おニューすごいっすよほんと。


ではでは、今日はこんなところ。
晩ご飯作ってバイト行ってきますー。

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「イマジネーションがあれば退屈はしないさ」

USJからの帰り。
ナイトパレードで夢見心地になりつつ、ジョーズのヘアピンを落としたことに盛大に凹みつつ。
ポップコーンを食べたら少し浮き上がった。単純な人間で本当に良かったとこういうときに思う。

てわけで暇潰しの徒然思考メモ。


ピーターパンのショウを見て、ふとピーターパンは悲恋だなと思った。
絶対にくっつかないピーターパンとウィンディ。(映画フックのようにウィンディの娘とピーターパンがくっつく、というのは聞く気がする)
でも連れに言われて気付いたけど、そもそもピーターパンはウィンディを「お母さん」としてネバーランドに連れてきたわけで、ウィンディはどうかわからないけど、お母さん役を引き受けたり最終的にあっさり帰ってるところを見ると、話題こちらも恋愛感情を抱いてるとはあまり思えない。
つまり恋人関係にまで発展するための要素はない気がする。
ということはウィンディはあくまでヒロインであって、ディズニープリンセスではないわけだなぁ。って当たり前か。他のヒロインもたしかプリンセスじゃない人は入ってないもんな。

あとピーターパンはあまりに夢を見すぎなため異常者に見える。


続きはあとで。

と、あとでって言っておきながら二日後とかに書いてしまうタイムラグ。
僕はちょっと余裕を持ち過ぎてもはや余裕っていうか怠惰ゾーンに突入している件。僕も立派に夢の国の住人だね☆ははん。


まあなんだ、とりあえずピーターパンだ。
あ、若干R15な表現が出てくるのでご注意。


「さあ僕と一緒に夢の国に行こう!」とか「妖精の粉だよ!」とか「楽しいことを思い出すと空が飛べるんだ!」とか、現代の一般常識を前提に聞いたらこれほどトチ狂ってる言葉を並べる人は頭のおかしい人にしか見えないと思う。
よく考えなくても、ピーターパンは誘拐犯だよね。
浅井ラボさんのブログで「冒頭にあるように近代における法律や経済を物語に適用すると、おかしなことがいっぱいある」と書いていたけど、あれは面白かったなぁ。
童話の登場人物は軒並み犯罪者みたいだ。現代に照らし合わせるとだけど。
しかし考えてみれば、「僕たちのお母さんになってくれ」ってひどい台詞だと思う。ウィンディだって年頃の娘だろうに。
それにしても、ピーターパンがトチ狂ってなくとも実際にネバーランドがあるとして、ネバーランドへの入場条件が「子供である」ということだとしたら、処女や童貞ではない少年少女は一体どうなるんだろう。セックス・アンド・ア・シティの作中であった、12歳からフェラをしているという女の子たちははたしてネバーランドに行けるのだろうか。アイスクリームショップでバイトなんかしてる子なんかは行けそうだけどね。


結局、オカルトなしでは童話は肯定できないってことだよね。今更だけど。
香川の小学校であった模擬裁判では昔話「かちかち山」のタヌキは9年の懲役になってました。→参考(MSN産経/PC)
でもオカルトを肯定した状態で、現代の常識に照らし合わせるというやりかたは面白いよなぁ。非常識と常識が混在するのが可能であるんだから。

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彼氏ができましたー【※バトンではありません】

こう、【】とか※とかをひっくるめてひとつのタイトル、というのが好き。
タイトルじゃねえだろ、ってツッコまれるようなタイトルがあってもいいと思うのです。
書籍に並ぶときっと多大な違和感を感じるのだろうけれど、文章中に不必要な位置に(笑)が出てくるのはあり得ないと思うけれど、たまにはあってもいいんじゃないかな。
ハードカバーの背表紙に「ツァラトゥスラの行方(笑)」みたいな。しかも内容がグロいSFとかだったら、きっと詐欺で訴えられると思う。でも作者は「いいえ、あれが列記としたタイトルなんです」と主張すればいい。
どっちが勝つんだろう?



足の小指をぶつけ膝をぶつけ、しかも雨ザアザア。
なんなんだ今日はとか思っていたらまさかの告白。ほんとになんなんだ今日は。

もしかしたら僕の最大の敗因は意図的には無意識的にか、能動的に受け身になっていることかもしれない。
「やってしまった」と思うことが後悔なのだとしたら、「やっておけばよかった」という後悔は果たして本当に後悔足り得るのか。どっちも後悔なのだと主張するほど、きっと僕は人生経験を積んでいないと思う。まあそもそも、後悔に足るも足りないも、「やって~」などという言葉それ自体すら詮無いことだろうけれど。。

まあ、なんだ。アレだ。どれだ。
「好奇心は猫をも殺す」という言葉の真意は「好奇心は猫を殺すけど人間も殺しちゃうYO」ということなのかもしれない。
やっぱり僕は好奇心で身を滅ぼすんだと思います。たまにうっかり「こう言えばどうなるだろう」とか「こうするとどうなるんだろ」って好奇心だけで行動するから自滅するのだろうけれど、やり直しが聞かないならばやった場合のルートに進みたいというか。まあ、そういうときは大概自分に選択肢を迫られてるときなんだけど。
問題なのは(こうやってリアルな人生をゲームのように語ること自体そうなんだけども)概ねその選択肢の先が自分にとって手放しで喜べることではない、ということです。結果が良いにせよ悪しきにせよ、頭を抱えるって未来は目の見える場所にあるはずなんだけども。

うーん、これだから学習しないって言われるんだろうなぁ(汗)





つーかこういうこと書いてるあたり、軽くパニくってるんだろうなぁ;;

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わりと

僕は幸せな人生を送っているように思う。
自然素材の料理も、人工物ベタベタの食べ物も、割となんでも美味しく思えるから。

なんてことを、人工の味をするピザ屋のお好み焼きを食べながら思った。
ちなみに、(常にお腹が空いているのでは?)なんてことは思っちゃいけない。

あと、やっぱり僕は「さあ、頑張ろう!」って思うと破綻する人なのだと知った。
意識するとダメなんだなぁ。

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